将来への不安

私は現在大学二年生です。

来年からいよいよゼミが始まり、今のところの予定では大学院に進学するつもりです。

自分が目指す大学院には推薦受験と一般受験の二つの形態があるのですが、自分は成績がそこまで優秀ではないため一般受験を選ぶ予定です。

試験内容自体は努力すればよいので特に不安がないのですが、ふと自分が大学院に進学したい理由を考えてみると不安になってきました。

自分はもともと勉強が好き性格なのですが、大学・大学院果ては生涯をかけて「どのように生きるのが善い生き方」なのかを知りたいと思い、東洋思想・中国史を勉強することでそれに迫りたいと考えています。

しかしです。この目標で論文を書こうと思うとどうにも書きにくいことに気づきました。

そもそも研究の前提となる先行研究への疑問提起が起きにくいということもあるのですが、修士・博士課程で提出しなければならない論文の体をなせる自信がまるでないのです。自分で言うのもなんですが、「善く生きる」というのは意識していないだけで言われてみればどれも当たり前のことで新鮮味はありません。そのため研究として諸家の思想・歴史上の人物の生き方をまとめ形をなすにはどう考えても5〜7年では困難な気がしています。

もちろん何年もその目標を追って研究すれば新しい形の自己啓発本として世に出せる日が来るかもしれませんが、今の自分の勉強ペース・今後勉強しなくてはならないことを考えてみると10年、20年でも足りるのかという不安に駆られてしまうのです。

ここまで来ると頭が混乱してきてしまい、そもそも大学院に進学してよいのかという悩みが出てきてしまいます。独自の観点・真新しさ・先行研究への批判を取り込んだ論文というものを書かなければ卒業できない大学院に、自分のこのおよそ論文が書けそうにもない、書くには圧倒的に時間が足らない目標をテーマにして進学していいのか不安で仕方ないのです。人文分野の博士卒業者は大学に残りでもしない限り就職が困難であるとの話も拍車をかけてきます。

やはり無難に就職して、土日の空いた時間に勉強した方がよいのでしょうか。

 

私は好きなことを勉強したくて大学に進学し大学院に進学しようと思っているにもかかわらず、何かと将来のことを考えて勉強しようとしている。この自分が嫌で嫌でたまりません。こんなのはあるべき学徒の姿勢じゃないです…

一生好きな勉強だけして生きていけたらいいのに…そう思わずにはいられません。