祖父の顔を思い出せなくて
お久しぶりです。
今日は15年前に他界した祖父のお墓参りに行ってきました。
父は今年のお盆に来ていたみたいですが、私自身は2年ぶりのお墓参りになります。
大学に進学したこと、中国史や儒学を学んでいること、家族は元気で過ごしていることなどを報告しました。
ただとても残念なことに、祖父の墓前に立っても祖父の顔が思い出せませんでした。
優しかったのかも、どういう声をしていたかも思い出せません。
これにはかなりショックを受け思わず涙を流してしまいましたが、当然といえば当然の話です。(祖父が亡くなったとき私は5歳だったので)
私は儒学を学ぶ身であり、その中で葬儀のやり方などは学んではいます。
しかし当時の中国の葬儀のやり方や、死者への接し方は当たり前ですが今の日本とはかなり異なります。
ですので私も特別何かをするというわけでもなく墓前を後にしました。
しかし帰り道すがらに考え一つの理解に達したような気がします。
私は祖父の墓参りで特別何かをしたわけではないが、祖父の墓前でその顔・声が思い出せなかったことを悲しく思ったこと、これ自体が一つの「孝」なのかもしれない、と。
少なくとも、形式だけ華美な飾りを墓前に施すよりは、その心を動かす方がいいような気がしたのです。
こうして、自分の行いが「孝」かもしれないと口にするのは痴がましいとは思いますが、もし違っていたならば誰かにご教示いただき私自身の解釈を見直す他ありません。
そういう次第で、今日ここに書かせてもらいました。