祖父の顔を思い出せなくて

お久しぶりです。

今日は15年前に他界した祖父のお墓参りに行ってきました。

父は今年のお盆に来ていたみたいですが、私自身は2年ぶりのお墓参りになります。

大学に進学したこと、中国史儒学を学んでいること、家族は元気で過ごしていることなどを報告しました。

ただとても残念なことに、祖父の墓前に立っても祖父の顔が思い出せませんでした。

優しかったのかも、どういう声をしていたかも思い出せません。

これにはかなりショックを受け思わず涙を流してしまいましたが、当然といえば当然の話です。(祖父が亡くなったとき私は5歳だったので)

 

私は儒学を学ぶ身であり、その中で葬儀のやり方などは学んではいます。

しかし当時の中国の葬儀のやり方や、死者への接し方は当たり前ですが今の日本とはかなり異なります。

ですので私も特別何かをするというわけでもなく墓前を後にしました。

 

しかし帰り道すがらに考え一つの理解に達したような気がします。

私は祖父の墓参りで特別何かをしたわけではないが、祖父の墓前でその顔・声が思い出せなかったことを悲しく思ったこと、これ自体が一つの「孝」なのかもしれない、と。

少なくとも、形式だけ華美な飾りを墓前に施すよりは、その心を動かす方がいいような気がしたのです。

こうして、自分の行いが「孝」かもしれないと口にするのは痴がましいとは思いますが、もし違っていたならば誰かにご教示いただき私自身の解釈を見直す他ありません。

そういう次第で、今日ここに書かせてもらいました。

 

 

こんばんは。夕です。

最近主にネットで議論を巻き起こしている「親ガチャ」と言う言葉について、思うところを書いていこうと思います。

 

まず私自身としては「親ガチャ」と言う言葉を使うのには反対です。親に多少の不満があっても「親ガチャ」という安直かつ失礼な言い方をするべきでないと思っています。

 

私の周りでは「文化資本」という言葉とセットで使われることが多く、その中での「親ガチャ」の当たりは

①経済力がある

②文化的素養がある

③学歴が高い

といった辺りを兼ね備えた親となっているように見られます。

 

まず①。経済力はないよりある方が良いことは間違い無いです。なんだかんだ言っても世の中お金で解決する部分がかなり大きいと私も感じています。

しかしここでの経済力があるは主に「私立の学校に通えるか否か」で議論されます。それ以外の部分にフォーカスを当てられることはあまりなく(私の周り全員の共通項が学生である。ということだけなので当たり前なのかもしれませんが)、例えば子供を私立の学校に行かせるためにその他の部分で節約をしていると言う可能性は議論から漏れる傾向にあるように感じます。つまり私立の学校に通えている学生は必然的に生活水準も高いという前提ができてしまっているのです。もちろんその可能性も大いにあります。しかしみんながみんなというわけではありません。

 

次に②。文化的素養があるというのは親が子供を幼少期から美術館やら博物館に連れていき、文化的な素養を身に付けさせようとすることです。連れて行こうと思うくらいなので、当然親も文化へそれなりの教養を持っているのでしょう。これに関しては私は親と美術館などに行ったことがないので分かりませんが、決して幼少期にその機会がなかったことで文化的な素養が身につかなくなるということはないと思います。むしろ以降の人生でそのような機会に出会うことは自分が選択すれば良いのであり、そのハードルはさして高くないと思います。

 

最後に③。これは仕方がないことですね。少しづつ変わっているとはいえ、いまだに日本は学歴社会の域を抜け出せていないように思えます。学歴が低いと平均収入も低いというデータもあるみたいです。既存の枠組みのことをぐちぐち言っても仕方がないので、あまり言うつもりはありませんが学歴というおよそ20年前後分の経験で人生の選択肢が狭まるのは良くないことだと思います。特に私たちの世代は大学進学率が5割を切っている世代です。いつまでも学歴に拘泥していては優秀な人材を取り逃してしまうことが増えないかと心配です。

 

だらだら書いてきましたが、これはあくまで私の周りにいる大学生の認識に対して思っていることなので、話題となっている「親ガチャ」そのものへの意見ではないです。

 

世間で言う「親ガチャ」に対して。

正直に言うと甘えなのかなと思っています。

もちろん家庭の経済的事情で進学ができない、親が過剰に干渉してくる、虐待を受けているなどの方もいます。その一方で些細な不満、例えば「別段暮らしに不自由はないけど友達と比べたときに惨めさを感じる」「自分の親は中堅大出だが知り合いの親は有名国立大出らしい」といった身近な人との比較で発している人も多くいます。どの家庭も大なり小なりの問題は抱えています。

それでも親は曲がりなりにも親として私たち子供のことを育ててきてくれたのです。それに対して「子供は親を選べない」だの「ゲームではリセマラができるのに遺伝はリセマラ」できないと不平を口にするのはあまりにも失礼だと思いますし、自分が親になったときに同じことを言われたら非常に傷つくであろうことは想像にたやすいです。

スタートラインの時点で差があることは否定しません。しかし人類の寿命が80を超える中で、たった20年前後の成果で人生を嘆き親を呪うのはあまりにも自分の修養がたりてないと思うのです。今はまだ芽が出てなくてももしかしたら中年くらいで開花するかもしれません。

大事なことはいつでも前を見据えることだと思います。後ろだけを見、前から目をそらし愚痴を吐き続ける人には成功する未来はやってきません。生まれ持った環境・素質は変えれません。ならばこそそれを受け入れ、未来にむけて努力を積んでいくべきなのではないでしょうか。

私はそう思って生きています。

 

 

西晋末期の中国 <今日のお勉強>

後漢末期〜三国時代という混乱した中国を再統一した西晋王朝ですが、2代目の恵帝の時に早くも瓦解を迎えます。その原因となったのが八王の乱永嘉の乱の勃発です。

前者は司馬一族の権力闘争、後者はそれに乗じた五胡と言われる異民族の侵攻と説明されます。

 

八王の乱

後漢外戚政治と宦官によって衰退の道を辿りましたが、西晋もまた外戚によってその滅亡の契機が作られました。暗愚な恵帝を補佐する形で皇太后の一族である楊氏が専制を行いますが、これに反発した恵帝の皇后賈氏は皇族の汝南王亮と楚王瑋の力を借りこれを排除します。ここまではいいのですが、賈氏はこの二王さらには皇太子までも殺害してしまったために朝野は反発。趙王倫が賈氏を討ち自ら帝位に就いてしまうという事態に発展します。しかしこうなると、誰もが皇帝の座を狙うのは明白であり、案の定倫は殺害され三百六年に懐帝が東海王越に擁立されるまで十七年にわたり中原は戦禍に覆われることになります。

この戦禍は恵帝が暗愚であったために引き起こされたと言われがちですが、実は皇帝候補には恵帝の他に武帝司馬炎の弟である司馬攸という人物がいたのです。彼は、三国志で有名な司馬懿にも将来を期待されるほどの優秀な人物で人々は司馬炎の次を司馬攸が担うことを期待していました。しかし司馬炎自身は弟である司馬攸のことをよく思っておらず、結局彼を中央から追放してしまいます。このことは三国魏の文帝曹丕が七歩詩で有名な弟の曹植の才能を恐れた話と似たものがあります。こうして司馬炎はせっかく自分で開いた王朝を繁栄させる道を自ら閉じてしまったのです。

司馬懿の息子であり、西晋建国のための礎を築いた司馬師司馬昭の兄弟が互いに協力したにもかかわらず、司馬炎・司馬攸の兄弟は互いに反目しあったという話は皇帝という唯一無二の座が持つ魔力のせいなのかもしれません。

 

永嘉の乱

東海王越の死後、現在の太原市(天津のやや西)にまで勢力を拡大していた匈奴の長劉聡西晋の首都の洛陽を攻め略奪の限りを尽くします。この時に懐帝も捕虜にされ(後に殺害される)西晋は実質として滅亡します。長きにわたる分裂の時代を終わらせた西晋は四十六年しか保たなかったのです。

ここで疑問がでできます。「匈奴って草原の遊牧民じゃないの?なんで天津のあたりにいるの?」という感じです。実は魏の時代から匈奴は徐々に中国の内地に流入してきていて、漢人の下で農耕生活をしている者が増えていたのです。他の異民族も似たような感じで中国内地にあり、その勢力は朝廷も危惧していたほどです。例えば、西晋の郭欽という人物は「今は福寿しているが百年後に戦乱が起これば、匈奴の騎馬隊は華北の重要拠点をあっという間に制圧してしまうでしょう。そうならないように異民族は全て中国の内地から移すべきです」と上奏しています。この意見は採用されなかったのですが、百年を待たずにこの見解は最悪の形で実現してしまいます。

 

○まとめ

およそ百年にわたる戦乱の時代を終わらせた西晋も建国間もなく戦乱へと突っ込んでいくわけですが民衆はたまったものじゃありません。やっと平和になったと思ったらまた戦争…

しかしこの時代を次の隋唐時代の起爆剤と見ることもできます。というのも隋唐の皇族も永嘉の乱により中国で勢力を拡大した五胡の系譜を引いているからです。

 

次は永嘉の乱の主役である五胡についての内容を予定しています。

世界の広さに気づいた日

私の高校は都心部から離れていたため、高校時代の私の世界は地元周辺で完結していました。

新宿や渋谷などは電車で行ける距離にあると言え、どこか別の世界の気がしていました。

スマホも持っていなかったため、SNSを使うこともなく世界が広いことを頭では知っていましたが実感がない。そんな日々を過ごしていました。

しかし、大学進学とともにその感覚は一変します。

都内の大学には全国からあらゆる人種の学生が集まってきています。

学生ながら起業している人・親と絶縁して奨学金をもらいながら自力で学費を払っている人・プロのアーティストとして活躍する人・酒、タバコ、麻雀と遊びにふける人・ひたすら研究に没頭している人…

本当に様々な人が集まっていてなんの特技も趣味も夢も持ち合わせていなかった私はショックを受け、恥ずかしくなりました。

彼ら・彼女らの姿を見て焦りを感じているのは事実です。とても一朝一夕には太刀打ちできない人たちが揃っているのですから。

 

しかしそうしていろんな人に触れているうちに世界の広さを実感していきます。そして目の前に広がる景色は世界のほんの一部に過ぎないこと、世界にはもっともっといろんな人がいること、それに気が付けました。

それに気づくと肩の荷が降りたような気がしました。自分は無理して目の前の世界に飛び込まなくていいのだと。どこかに必ず自分にも合った世界があり、そこから見る景色が一番美しいのだと思えるようになったからです。

 

自分には残念ながら今のところ才能はありません。

大学にも努力量のゴリ押しで合格した自信があります。しかし努力すること、これこそが自分の才能なのかもしれません。芽が出なくてもひたすらに自分の世界を探して努力し続ける。そんな人間になりたいと思う今日この頃です。

SNSを辞めるに至った経緯  〜白の世界に生きたくて〜

ジョジョの奇妙な冒険 第3部』にて主人公メンバーのポルナレフが次のセリフを言うシーンがあります。

「今…感じる感覚は…おれは「白」の中にいるということだ…DIOは「黒」!ジョースターさんたちは「白」。「黒」と「白」がはっきり別れて感じられるぜ!傷ついた体でも勇気が湧いてくる。「正しいことの白」の中におれはいるッ!」

 

「正しいことの白」の中にいることから生まれる安心と勇気。これこそが私が求めてやまないものだと不意に気づきました。

先日まで私はTwitterInstagramをメインで用いていたのですが、精神を疲弊させてしまっていました。というのも、Twitterで目に入るのは匿名であることをいいことに・他人事であることをいいことに心ない暴言を浴びせる方が多く、Instagramでは誰に見せる必要があるのかわからない「自分楽しんでます感」「素敵な友達を持っている自分幸せ感」が漂う薄っぺらい人間関係ばかりが目に入ってきていました。一番理解に苦しんだのはストーリーで友達をメンションし、「楽しかったね〜」「ありがとう〜」といったコメントを書いているものです。なぜ直接友達に言わず(言っているのかもしれませんが)、他の人に見せ付ける形で言うのか。その理由が自分には理解できません。

 

SNSを通じて人間の暴力性と軽薄さに接しづけていた私は自身もそちら側、先の表現を使うと「黒」に染まってしまうのではないかと不安になり、TwitterInstagramの両方を削除しました。SNSをやることは悪いことではないし、むしろ良い面が多いと思います。しかしSNSを辞めることで、自分が「黒」に染まる可能性が減るのならば辞めた意味はあったのだろうなと思っています。

 

私は「白」の世界で生きていたい。「白」だという安心感と勇気を得たい。そう思ってやみません。

 

思えば私が今勉強している儒学は「白」へと誘ってくれる、普遍的な正しい生き方を教えてくれる。そういう学問なのだなと改めて実感しました。

将来への不安

私は現在大学二年生です。

来年からいよいよゼミが始まり、今のところの予定では大学院に進学するつもりです。

自分が目指す大学院には推薦受験と一般受験の二つの形態があるのですが、自分は成績がそこまで優秀ではないため一般受験を選ぶ予定です。

試験内容自体は努力すればよいので特に不安がないのですが、ふと自分が大学院に進学したい理由を考えてみると不安になってきました。

自分はもともと勉強が好き性格なのですが、大学・大学院果ては生涯をかけて「どのように生きるのが善い生き方」なのかを知りたいと思い、東洋思想・中国史を勉強することでそれに迫りたいと考えています。

しかしです。この目標で論文を書こうと思うとどうにも書きにくいことに気づきました。

そもそも研究の前提となる先行研究への疑問提起が起きにくいということもあるのですが、修士・博士課程で提出しなければならない論文の体をなせる自信がまるでないのです。自分で言うのもなんですが、「善く生きる」というのは意識していないだけで言われてみればどれも当たり前のことで新鮮味はありません。そのため研究として諸家の思想・歴史上の人物の生き方をまとめ形をなすにはどう考えても5〜7年では困難な気がしています。

もちろん何年もその目標を追って研究すれば新しい形の自己啓発本として世に出せる日が来るかもしれませんが、今の自分の勉強ペース・今後勉強しなくてはならないことを考えてみると10年、20年でも足りるのかという不安に駆られてしまうのです。

ここまで来ると頭が混乱してきてしまい、そもそも大学院に進学してよいのかという悩みが出てきてしまいます。独自の観点・真新しさ・先行研究への批判を取り込んだ論文というものを書かなければ卒業できない大学院に、自分のこのおよそ論文が書けそうにもない、書くには圧倒的に時間が足らない目標をテーマにして進学していいのか不安で仕方ないのです。人文分野の博士卒業者は大学に残りでもしない限り就職が困難であるとの話も拍車をかけてきます。

やはり無難に就職して、土日の空いた時間に勉強した方がよいのでしょうか。

 

私は好きなことを勉強したくて大学に進学し大学院に進学しようと思っているにもかかわらず、何かと将来のことを考えて勉強しようとしている。この自分が嫌で嫌でたまりません。こんなのはあるべき学徒の姿勢じゃないです…

一生好きな勉強だけして生きていけたらいいのに…そう思わずにはいられません。