SNSを辞めるに至った経緯  〜白の世界に生きたくて〜

ジョジョの奇妙な冒険 第3部』にて主人公メンバーのポルナレフが次のセリフを言うシーンがあります。

「今…感じる感覚は…おれは「白」の中にいるということだ…DIOは「黒」!ジョースターさんたちは「白」。「黒」と「白」がはっきり別れて感じられるぜ!傷ついた体でも勇気が湧いてくる。「正しいことの白」の中におれはいるッ!」

 

「正しいことの白」の中にいることから生まれる安心と勇気。これこそが私が求めてやまないものだと不意に気づきました。

先日まで私はTwitterInstagramをメインで用いていたのですが、精神を疲弊させてしまっていました。というのも、Twitterで目に入るのは匿名であることをいいことに・他人事であることをいいことに心ない暴言を浴びせる方が多く、Instagramでは誰に見せる必要があるのかわからない「自分楽しんでます感」「素敵な友達を持っている自分幸せ感」が漂う薄っぺらい人間関係ばかりが目に入ってきていました。一番理解に苦しんだのはストーリーで友達をメンションし、「楽しかったね〜」「ありがとう〜」といったコメントを書いているものです。なぜ直接友達に言わず(言っているのかもしれませんが)、他の人に見せ付ける形で言うのか。その理由が自分には理解できません。

 

SNSを通じて人間の暴力性と軽薄さに接しづけていた私は自身もそちら側、先の表現を使うと「黒」に染まってしまうのではないかと不安になり、TwitterInstagramの両方を削除しました。SNSをやることは悪いことではないし、むしろ良い面が多いと思います。しかしSNSを辞めることで、自分が「黒」に染まる可能性が減るのならば辞めた意味はあったのだろうなと思っています。

 

私は「白」の世界で生きていたい。「白」だという安心感と勇気を得たい。そう思ってやみません。

 

思えば私が今勉強している儒学は「白」へと誘ってくれる、普遍的な正しい生き方を教えてくれる。そういう学問なのだなと改めて実感しました。